2017.11.11
人生には必ず訪れる別れ
迷子のお知らせ
オカメインコの雪ちゃん
オカメインコさん保護
ことりとの生活
クリック
こちら
いんこだより
にも出ていました。
いんこだより
迷子の八重桜インコかがやき情報
迷子鳥の探し方
迷子さんが居たら参考にしてください。
☆*:;;;:*☆*:;;;:**:;;;:**:;;☆;:**:;;;:**:;;;:*☆*:;;;:*☆
(o^-')o∠☆:゚*'こんにちわぁ~
☆.。.:*・゚
11月9日の365カレンダーの記事で
今年のアオ君の表紙コンクール入選を知らない方もいますね
そう思いアオ君の表紙も載せようかと思いました
2016年10月28日の記事に載せました
365カレンダー表紙初入選
こちらをクリックして頂くとアオ君のカレンダー表紙が見れます
そして今回の表紙にはサーヤですが
入選した写真はまだサーヤが生まれて8か月の頃の写真なんです
だからお顔の赤がまだ薄い感じに見えるでしょう
この頃はまだまだ子供のようでヤンチャぶりを発揮していました
サーヤはうちで生まれたリクミドの子ですから
リクも喜んでくれると思います。
ちゃんとリクには報告しました(*^-^)ニッコリ。.:♪*:・'
こちらは昨日飛ぶ直前を撮影したものですが…残念
羽を広げる前の写真になりました。
撮ろうと思って撮るのは難しいですね( ´ー`)フゥー...
また挑戦しようかなッ(^ー^* )フフ♪

そして今回、とても気になる拍手コメント頂き
どうしてもお返事が書きたくてここに書きます
非公開で来ていたのでお名前は控えさせて頂きますが
11月8日の記事そう信心深い訳では無いですが…の
記事の中仏壇買いましたの内容でこの記事に拍手コメントを戴き
自分と同じような人もいるのだと思いました。
違うのは私の場合既に母を亡くして26年経っていて
今は娘とお婆ちゃんの思い出話をすることも有ります
お名前仮にAさんとしますが、Aさんはまだお母さまを亡くして1年
Aさん38歳の時に(まだお若い)1年の闘病生活の末
お母様は虹の橋へ渡られました
その現実にまだまだ涙する事も多いと言います
実は私も母を亡くしたのが38歳でした
あの時の悲しみは生涯で一番辛かった記憶が有ります
寝たきりでもイイから生きてて欲しかった
私の母は倒れてから3か月で逝ってしまいました。
死に水は私が取りました…母は水が、まずいと言って
ちょっと待ってねと、母の大好きな濃い目のお茶をちょっと温めにして
母に飲ませて上げました、
母は美味しいと言って全部一気に飲み干しました
それが最後の口から入れた飲み物になり
次の日の朝早く虹の橋へと旅立って逝きました。
母はお空に行ってしまっても仕事も子育ても休む訳には行きません
毎日泣きながら仕事してました。
思い出すたび涙が自然に零れ落ちるそんな日々でした
拍手コメントを下さったAさんも又未だ涙が出る日々を送られていると言います
お休みの日にはお墓に行ったり会える気がしてと書いて有りました
その気持ち良く分かります
26年経った今でもマメにお墓参りは行きます。
ご実家に仏壇が有りやはりお母様にお話ししに行くようです
まだまだ辛い時期だと思います
私の鳥友さんにも今年三回忌を12月に迎える方がいます
そして彼女も30代です
同じような年齢に皆母を亡くしています
幾つになっても母を失う悲しみは同じだと思います
それだけ母と云うものは偉大であるという事なのでしょうねぇ
母を亡くした悲しみは忘れることは出来ないにしても
時がだんだんその心を癒してくれます
まだまだ無理かと思いますが泣きたい時は泣いてイイんですよ
お母様がお空からきっと見守っていてくれます。
お身体を大切に日々過ごして頂きたいと思います。
長くなりましたが、人生には必ず訪れる別れ
それは受け入れて行くしか無いのです…そう思います。
本日もご訪問ありがとうございます
又遊びに来てください
応援一ポチよろしくです(o´_ _)o)ペコッ💝


にほんブログ村
ありがとうございました
本日はコメント欄閉めさせて頂いております。


オカメインコさん保護



こちら






☆*:;;;:*☆*:;;;:**:;;;:**:;;☆;:**:;;;:**:;;;:*☆*:;;;:*☆
(o^-')o∠☆:゚*'こんにちわぁ~

11月9日の365カレンダーの記事で
今年のアオ君の表紙コンクール入選を知らない方もいますね
そう思いアオ君の表紙も載せようかと思いました
2016年10月28日の記事に載せました


こちらをクリックして頂くとアオ君のカレンダー表紙が見れます
そして今回の表紙にはサーヤですが
入選した写真はまだサーヤが生まれて8か月の頃の写真なんです
だからお顔の赤がまだ薄い感じに見えるでしょう
この頃はまだまだ子供のようでヤンチャぶりを発揮していました
サーヤはうちで生まれたリクミドの子ですから
リクも喜んでくれると思います。
ちゃんとリクには報告しました(*^-^)ニッコリ。.:♪*:・'
こちらは昨日飛ぶ直前を撮影したものですが…残念
羽を広げる前の写真になりました。
撮ろうと思って撮るのは難しいですね( ´ー`)フゥー...
また挑戦しようかなッ(^ー^* )フフ♪

そして今回、とても気になる拍手コメント頂き
どうしてもお返事が書きたくてここに書きます
非公開で来ていたのでお名前は控えさせて頂きますが
11月8日の記事そう信心深い訳では無いですが…の
記事の中仏壇買いましたの内容でこの記事に拍手コメントを戴き
自分と同じような人もいるのだと思いました。
違うのは私の場合既に母を亡くして26年経っていて
今は娘とお婆ちゃんの思い出話をすることも有ります
お名前仮にAさんとしますが、Aさんはまだお母さまを亡くして1年
Aさん38歳の時に(まだお若い)1年の闘病生活の末
お母様は虹の橋へ渡られました
その現実にまだまだ涙する事も多いと言います
実は私も母を亡くしたのが38歳でした
あの時の悲しみは生涯で一番辛かった記憶が有ります
寝たきりでもイイから生きてて欲しかった
私の母は倒れてから3か月で逝ってしまいました。
死に水は私が取りました…母は水が、まずいと言って
ちょっと待ってねと、母の大好きな濃い目のお茶をちょっと温めにして
母に飲ませて上げました、
母は美味しいと言って全部一気に飲み干しました
それが最後の口から入れた飲み物になり
次の日の朝早く虹の橋へと旅立って逝きました。
母はお空に行ってしまっても仕事も子育ても休む訳には行きません
毎日泣きながら仕事してました。
思い出すたび涙が自然に零れ落ちるそんな日々でした
拍手コメントを下さったAさんも又未だ涙が出る日々を送られていると言います
お休みの日にはお墓に行ったり会える気がしてと書いて有りました
その気持ち良く分かります
26年経った今でもマメにお墓参りは行きます。
ご実家に仏壇が有りやはりお母様にお話ししに行くようです
まだまだ辛い時期だと思います
私の鳥友さんにも今年三回忌を12月に迎える方がいます
そして彼女も30代です
同じような年齢に皆母を亡くしています
幾つになっても母を失う悲しみは同じだと思います
それだけ母と云うものは偉大であるという事なのでしょうねぇ
母を亡くした悲しみは忘れることは出来ないにしても
時がだんだんその心を癒してくれます
まだまだ無理かと思いますが泣きたい時は泣いてイイんですよ
お母様がお空からきっと見守っていてくれます。
お身体を大切に日々過ごして頂きたいと思います。
長くなりましたが、人生には必ず訪れる別れ
それは受け入れて行くしか無いのです…そう思います。








にほんブログ村


本日はコメント欄閉めさせて頂いております。
スポンサーサイト